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2015年5月4日
西田 昂 回想録2
昭和28年くらいまでは小麦が統制で原料を支給され小麦粉に加工してその手間代を稼ぐという方式でした。祖父は奈良の組合の責任者をしていたので、奈良の業者さんが仕事するための小麦の確保に奔走していたみたいです。
ある年、小麦の割り当てがなく仕事がなくなった時があったみたいです。その時父は万策つきあわやこれまでかと追い込まれた時があったみたいです。その時窮地の一策にでます。倉庫の隅にあった小麦フスマ(小麦の皮)に目をつけます。小麦の皮に少し粉がついているのを見つけ、もう一度ロール機にかけ篩い、小麦粉を採ることに成功しました。それを近所のせんべい屋さんに持って行ったところ、運よく買ってもらうことができ、会社は何とか継続することができたのです。