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2017年3月16日
西田定治郎時代の製粉(その1)
昭和21年に奈良食糧事務所が設立されました。戦後の激動の時代であったと思います。当時、小麦粉は統制品であり、製粉工場は食糧管理局の契約工場として小麦の委託加工をしていました。このころ奈良県では製粉工場が団体組織を作り、政府と工場の連絡機関、相互の親睦を図る目的で運営され始めたのです。その後昭和25年には7名で奈良県中型製粉工業協同組合を設立、経済活動が可能な組織を作りました。この設立におそらく定治郎は尽力したのではないかと思われます。混乱の時期で、おそらくまともに原料小麦もない、したがって組合員の仕事もない、そんな状況でこの組織を作ったのだと思います。奈良県の製粉業者に小麦の割り当てが増えるよう努力を惜しまなかったと聞いています。